April 11, 2021

PRODUCER SPOTLIGHT: 鮮冷 大井さんインタビュー記事 -東日本大震災から10年

Interview with Senrei

女川町で水揚げされた新鮮な魚

 

2011年に起こった東日本大震災から今年で10年の節目を迎えるにあたり、宮城県女川町の水産食品メーカー、株式会社鮮冷の大井太さん(販売・マーケティング)に会社と地域が震災後どのように変化し復興しているのか、またこれからのビジョンについて伺いました。
 

ココロ:海外から訪れる多くの外国人は、まだ東北を訪れたことがありません。他の地域と比べて、どのようなところがユニーク(特別)な地域だと思いますか? 

大井さん:東北の中心地であり入口とも言える仙台は、東京から新幹線で1時間半というとてもアクセスが良く、更には仙台から30分も行ったところには日本三景のひとつである松島があります。東北6県は海に囲まれ、内陸は山林が豊富で自然豊かな地域です。その自然のおかげで、世界三大漁場のひとつと言われている金華山沖で獲れる水産物や、米沢牛や前沢牛などの和牛、美味しいお米や野菜、美味しいお米と美味しいお水を利用した美味しい日本酒など、世界的に有名な北海道にも負けない食の魅力を持っています。

 また、岩手県の岩泉の中尊寺金色堂や、青森のねぶた祭など歴史のある建造物やお祭りなど、四季折々の自然とともに楽しめる地域です。東北人は遠慮がちな性格のようで、自分たちの魅力をアピールすることが苦手なようで、残念ながらその魅力を世界に発信できていないというのが実際だと思います。

 

Interview with Senrei

 女川町でとれた牡蠣

日本有数の漁港「女川漁港」があることでも知られる

 

ココロ:ご自身や、会社として、地域コミュニティとどのようにかかわっていらっしゃいますか?その中で、食べ物はどのような役割を果たしていると思いますか?

大井さん:私が働いている鮮冷という会社は「女川のうまい!を世界へ」というモットーのもと、設立当初から海外輸出に取り組み、現在では主力の冷凍ほたて貝柱を10各国以上に輸出しております。輸出開始当初は北海道の冷凍ほたて貝柱が市場をほぼ独占しており、「北海道じゃないんだ?東北ってどこ?宮城ってどこ?」といった状態でしたが、東北の魅力を動画でお伝えするなどによって、徐々に理解を深めることができ、今では「宮城のほたてが欲しい」というところまでたどり着くことができました。私自身はマーケティング&セールスとして各国に赴き、最前線で東北の魅力を発信してきました。

 

Interview with Senrei

鮮冷コミュニティイベント

 

ココロ:会社、地域、人など、東日本大震災の影響としては、どのようなものがありましたか?この10年で、復興はどのようになされているでしょうか。

大井さん:私自身は現在住んでいる宮城県女川町とは震災後の2012年から支援活動で関わり、現在の会社に入社した2016年に移住しました。震災の1年後から現在まで復興の様子をみてきましたが、女川町は行政がコンパクトなことを活かし、「復興のトップランナー」と言われるように、他の地域と比べるとかなり早いスピードで復興が進みました。女川町は震災によって町がほとんど壊滅状態になってしまったため、今現在の町の様子は震災前のものと全く違うものになりましたが、多くの方々に足を運んでいただけるようにもなり、街づくりに成功したと言っても過言ではないと思います。ただ、近隣の石巻など他の地域で、特に大きな行政体の地域はまだまだ復興しきれていないように感じます。

 

Interview with Senrei

女川町

 

ココロ:政府予算や、オリンピック、コロナなど、外部の影響は復興へどのような影響を与えていますか?具体例があれば教えてください。

大井さん:復興予算に関しては、女川町に関しては早くから「防潮堤を作らない」ということを決め、その分の予算を他の事業に充てたことがスピードアップの要因になったと言われています。我々のような事業者としては、復興予算のおかげで思い切った投資ができ、「ピンチをチャンスに変える」ことで、世界を市場とする新たなチャレンジができております。当社のように震災前とは違った新たなビジョンを持って事業を再生・復興した事業者は、実際には少なく、ほとんどの事業者が震災前の事業の「再生」のみに取り組んだ結果、震災によって失った販路を取り戻すことはできずに、事業閉鎖に追い込まれている事業者も少なくありません。

 オリンピックに関しては、コロナ禍前は、オリンピックに訪れた海外の方々をいかに東北へ呼び込むかと考えておりましたが、このような状況ではそもそも観戦者自体日本に来れるかどうかも分からないので。。。いずれにせよ、正直「復興五輪」は名ばかりになってしまったように感じます。

 コロナ禍は、特に東北の主要産業である農水産や食品製造業には大きな打撃を与えています。特に飲食店向けの食材や、お土産品を製造しているメーカーは売上が激減し、飲食店同様に苦しい状況に追い込まれています。当社も業務用食品の売上や輸出は激減したことによって昨年度は大きな打撃を受けてしまいましたが、早くから一般消費者向けの商品を開発に取り組み、今期になって市場投入できたことで、在宅需要に応えることができ、おかげさまで事業は拡大傾向にあります。

 

Interview with Senrei

大井さんと宮城県の観光PRキャラクターむすび丸

 

ココロ:大井さんご自身が思う、東北地域の未来についてお聞かせいただけますでしょうか。

 大井さん:今のまま何もしないでいると2050年には仙台しか残らないと言われています。ただ、東北には大きなポテンシャルがあり、以下のことに取り組んでいけば明るい未来があると思います。 

 

1. 東北の食・食文化を、輸出を通じて世界に発信しつづける

 前述したように世界に誇れる食と食文化を発信し続けることで、東北の魅力を知っていただく

 

2. アウトバウンド(食・食文化の種出)とインバウンド(海外の人が美味しいものを食べにくる)との融合

 1によって「東北に行ってみたい」という海外の方々を増やす。アウトバウンドとインバウンドを密に融合することで、両方の増加を加速させる。日本には北海道という成功事例があるので、追いつけ追い越せで。(東北には「萩の月」という日本で最も人気のあるお菓子があるが、海外では「白い恋人」のほうがはるかに知名度があります。それはまさに「インバウンド」の差が大きな要因であると思われます。)

 

3. 農林水産の一次事業者があこがれの職業となる

 海外の最前線では、日本の農水産物は世界一の評価を得ていると強く感じることができますが、残念ながら現状の多くの生産者はそのことを感じることができずにいるので、それを感じて世界市場に目を向けることによって高いモチベーションで取り組むことができれば未来は明るいと思います。国内の規制等の原因により、高齢化から脱却するための事業継承の難しさなど、国内で解決すべき問題は正直山積みですが、それらを解決し、若い人材が高いモチベーションの生産者になることができれば、①と②が加速するだけではなく、多くの人材が地方に広がることで地方創成も実現できると思います。

 

4. 東北大学の優秀な人材が東北で起業したくなるような環境づくりに取り組む

 現状は東北大学の優秀な人材は卒業して首都圏や世界に流出してしまっています。それら優秀な人材をいかに東北に留めることができるかということが大きな課題だと思います。そのためには農水産だけでなく、あらゆる業界で、東北で起業することの魅力づくりに取り組むことで、貴重な若い人材に東北で活躍してもらえれば東北の未来はより明るくなると思います。実際東北大学の工学部ではそのためのカリキュラムがあり、私自身も関わらせていただいております。

 

Interview with Senrei
新鮮な魚
Interview with Senrei
海鮮丼
Interview with Senrei
秋刀魚

写真提供: ©Onagawa Future Creation

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